模型と手の知性——デジタル時代における建築模型の役割

模型と手の知性——デジタル時代における建築模型の役割

河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

デジタルの速度が奪ったもの

現代の設計事務所において、スケッチから施工図までの全工程がモニター上で完結することは、もはや珍しくない。

BIM(建築情報モデリング)の普及により、三次元モデルは即座に生成され、構造計算も環境シミュレーションもリアルタイムで可能となった。効率は飛躍的に向上した。クライアントへのプレゼンテーションはVRで行われ、まだ存在しない空間を「体験」させることさえできる。

しかし、私はここで問いたい。その速度の中で、設計者は本当に「考えて」いるのだろうか。

画面上のモデルを回転させ、視点を変え、マテリアルを差し替える。その操作の連続は、果たして思考と呼べるものなのか。私たちは何かを得る代わりに、何か決定的なものを手放してしまったのではないか。

模型という「遅さ」の装置

スタディ模型をつくる行為は、本質的に遅い。

スチレンボードを切り、接着し、乾くのを待つ。その間、手は止まっても思考は止まらない。むしろ、手が動いている時間そのものが、思考の時間となる。

私が師事した設計事務所では、どれほど小さなプロジェクトでも、必ず1/100以上のスケールで模型を作成した。図面では見えなかった矛盾が、立体になった瞬間に露呈する。開口部の位置が周囲の建物とどう呼応するか。屋根の勾配が空に対してどのような角度を描くか。

これらは画面上でも確認できる、という反論があるだろう。

だが、模型には画面にはない「抵抗」がある。素材の厚み、カッターの刃が通る感触、接着剤の乾燥時間。その物理的な抵抗こそが、安易な形態操作を許さない。模型は設計者に「なぜその形か」を繰り返し問いかける、沈黙の批評家なのである。

手は脳の延長ではない

認知科学の領域では、「身体化された認知(embodied cognition)」という概念が注目されている。

思考は脳だけで行われるのではなく、身体全体——特に手——を通じて環境と相互作用する中で生成される、という考え方だ。

模型制作において、この理論は極めて説得力を持つ。

手がボードに触れ、空間の厚みを感じ取る。指先が壁面の角度を調整する。その過程で、頭の中だけでは到達し得なかった解が、突然現れることがある。それは「思いつき」ではない。手が考えた結果である。

SANAAの妹島和世氏が、ひとつのプロジェクトで数百個もの模型を作成することは有名だ。それは単なる検討の量ではなく、「考える手」を最大限に稼働させる方法論なのだと私は理解している。

透明なアクリルの模型が並ぶ光景は、思考の軌跡そのものだ。

都市を手のひらに載せる

模型の効用は、単体の建築検討にとどまらない。

周辺の建物を含めた広域模型を作成することで、都市との関係性が手触りとして理解できるようになる。隣接する建物の高さ、道路の幅員、街区の奥行き。それらをミニチュアとして俯瞰する時、私たちは神の視点と歩行者の視点を自在に往復することができる。

ここに、模型ならではの「視点の可動性」がある。

パソコン画面では、視点の移動はマウス操作に依存する。だが模型では、自分の身体を動かすことで視点が変わる。しゃがみ込めば歩行者の目線に、立ち上がれば鳥の目線に。その身体的な移動が、空間認識を三次元的に深化させる。

レム・コールハースが都市を「錯乱」と捉えたように、都市は単純な秩序では割り切れない。その複雑さを理解するためには、抽象化されたダイアグラムだけでなく、物質としての模型が必要なのだ。

素材が語る建築の文法

模型制作で見落とされがちなのが、素材選択の意味である。

白いスチレンボードは抽象性を、木材は温かみを、アクリルは透明性を、それぞれ暗示する。模型の素材は、完成形の素材と必ずしも一致しない。しかし、その選択自体が設計意図を反映している。

隈研吾氏の事務所では、実際に使用する素材のサンプルを模型に貼り付けることがあるという。木のルーバー、石のテクスチャ、金属のメッシュ。それらが小さなスケールでどう見えるかを確認する。

これは「触覚の先取り」とでも呼ぶべき行為だ。

完成後に人が触れるであろう表面を、設計段階で指先が先に経験する。その経験が、ディテールの精度を高める。図面上の線では感じ取れない「手触り」が、模型を通じて設計に織り込まれていく。

経年変化もまた、模型が示唆するものだ。紙の模型は時間とともに反り、色褪せる。それは建築が時間の中で変容していくことの、小さな予言でもある。

デジタルと手の共存へ

私は、デジタルツールを否定しているのではない。

構造最適化や環境シミュレーションにおいて、コンピュータの能力は人間を遥かに凌駕する。パラメトリックデザインが可能にした形態の自由度も、認めるべきだろう。

問題は、その便利さが「考える時間」を奪いつつあることだ。

模型を作る時間は、一見すると非効率に見える。しかしその「遅さ」こそが、設計者を立ち止まらせ、問いを深めさせる。デジタルの速度と、手の遅さ。この二つを意図的に使い分けることが、これからの設計者に求められる能力ではないか。

私の事務所では、初期のスタディは必ず手で行う。紙の上のスケッチと、小さな模型。形が見えてきた段階で、初めてデジタルに移行する。この順序を逆転させると、「なぜその形か」という根本の問いが曖昧なまま、プロジェクトが進んでしまう危険がある。

手の知性を取り戻す

建築教育の現場でも、模型制作の時間は減少傾向にあると聞く。

締め切りに追われる学生が、CGパースで課題を提出することは珍しくない。見栄えは良い。だが、その空間を本当に「理解」しているのか、私は疑問を抱く。

模型は、設計者自身のための装置である。

クライアントや審査員に見せるためだけではない。自分が何を考えているのかを、自分自身に問いかけるための道具なのだ。手を動かすことで、脳だけでは到達できない領域に踏み込む。それが「手の知性」の本質である。

これからの建築は、ますます複雑化するだろう。環境性能、社会的包摂、経済合理性。求められる条件は増え続ける。だからこそ、複雑さを一度「手のひらサイズ」に縮減し、全体を俯瞰する模型の価値は高まるはずだ。

形には必ず根拠がある。その根拠を探り当てるために、私たちは今日も手を動かす。模型という小さな世界の中で、建築は静かに、しかし確かに考え続けている。

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河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

1977年、香川県生まれ。2002年に大阪工業大学工学部建築学科を卒業。2010年、河添建築事務所に参画し代表に就任。香川・東京の二拠点を構え、住宅から商業建築まで幅広い設計を手がける。

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