土地が持つ「声」に耳を傾けること
建築をつくるとき、私がまず行うのは敷地に立つことだ。図面を見るのでも、航空写真を眺めるのでもない。その土地に立ち、風を感じ、光の角度を読み、足元の土を踏みしめる。すると不思議なことに、その場所が何かを語りかけてくるような感覚がある。地形の起伏、周囲の植生、そこに積み重なってきた時間の厚み——それらすべてが、建築の手がかりになる。
「地産地消」という言葉は食の世界で広く知られるようになったが、建築においても同じ思想が深い意味を持つ。地域で採れる石、地元の山から伐り出された木、その土地の職人が受け継いできた左官の技術。こうした素材や技を建築に取り入れることは、単なるエコロジーの実践にとどまらない。それは、建築にその土地でしか生まれ得ない「固有性」を与える行為なのだ。
均質化する風景への違和感
現代の住宅地を車で走ると、ある種の既視感に襲われることがある。北海道でも九州でも、同じようなサイディングの外壁、同じような形状の窓、同じような色彩の屋根が並んでいる。工業製品としての建材は品質が安定しており、コストも読みやすい。施工の効率も高い。その合理性を否定するつもりはない。
しかし、私はこの均質化した風景に対して、建築家として強い違和感を覚えてきた。建築とは本来、その場所に根ざすものではなかったか。日本各地に残る伝統的な集落を訪ねると、そこには気候風土と素材が一体となった、替えの利かない美しさがある。雪国の急勾配の屋根、南国の深い軒、火山地帯の石積みの壁。それらは機能の要請から生まれたものであると同時に、その土地の「顔」そのものだった。
私たちが今つくる建築にも、この固有性を取り戻すことはできるはずだ。それも懐古趣味としてではなく、現代の技術と感性を持って。
素材との対話が設計を変える
地域素材を使うということは、設計のプロセスそのものを変えることでもある。工業製品であればカタログからスペックを選べばよいが、天然素材はそうはいかない。木であれば樹種ごとに強度も色味も香りも異なるし、同じ樹種でも育った環境によって木目の表情が変わる。石であれば採掘される層によって硬さや模様が違い、土壁の土は配合によってまったく異なる質感を生む。
私が地域の素材を選ぶとき、必ずその産地を訪ねるようにしている。製材所で木の断面を見せてもらい、石切場で岩肌に触れ、左官職人の作業場で土の練り具合を確かめる。こうした過程を経ると、素材が単なる「材料」ではなく、対話すべき相手に変わる。この木はどう使えば最も美しく経年変化するだろうか。この石の表情を活かすにはどんな仕上げが適切だろうか。素材の側から設計の方向性が導かれるような感覚が生まれるのだ。
一般的に、地元の杉や檜を構造材や仕上げ材に使った住宅では、住まい手が木の香りや温もりに包まれて暮らすことになる。それは単なる視覚的な満足を超えて、嗅覚や触覚にまで及ぶ身体的な豊かさだ。こうした空間では、時間の経過とともに素材が深みを増し、住まい手と建築の関係が成熟していく。工業製品の経年劣化とは対照的な、経年による「美化」がそこにはある。
職人の手が宿すもの
地域素材の話をするとき、素材そのものと同じくらい重要なのが、それを扱う職人の存在だ。素材は職人の手を通じて初めて建築になる。そして地域には、その土地の素材を知り尽くした職人がいる。あるいは、かつていた。
私が仕事を通じて痛感しているのは、こうした職人技術が急速に失われつつあるという現実だ。左官、石積み、茅葺き、板金——いずれも担い手の高齢化が進み、次世代への継承が危ぶまれている。建築家が地域素材を設計に取り入れることは、こうした技術の継承に対する具体的な支援にもなる。仕事があるからこそ技術は生き延びる。設計という行為が、地域の文化的インフラを維持する役割を担い得るのだ。
私自身、プロジェクトの中で地元の職人と協働する場面では、彼らの経験知に何度も助けられてきた。図面では表現しきれない納まりの工夫、素材の癖を読んだ施工の判断、天候や湿度を考慮した作業の段取り。そうした暗黙知の蓄積は、どんなデジタルツールにも代替できない価値を持っている。
コストと価値の新しい物差し
地域素材を使うと高くなるのではないか——これは施主の方からよく聞かれる質問だ。正直に答えれば、工業製品と単純に比較した場合、イニシャルコストが高くなるケースはある。しかし、ここで少し立ち止まって考えてみたい。
まず、輸送コストという視点がある。遠方から運ばれてくる建材は、その輸送に多大なエネルギーとコストがかかっている。地元の素材を使えば、この部分は大幅に削減できる。次に、メンテナンスの観点。適切に使われた天然素材は、部分的な補修や交換が容易であることが多い。壁の一部が傷んだとき、同じ土で塗り直せばよい。床板の一枚を差し替えればよい。システム化された工業製品が廃番になって全面交換を迫られるリスクと比べると、長期的なコストパフォーマンスは決して悪くない。
そして何より、その建築が地域経済の循環に寄与するという事実がある。地元の山の木を買い、地元の製材所で加工し、地元の大工が建てる。お金が地域の中を巡り、雇用を生み、技術を守る。住宅一棟の経済効果は小さく見えるかもしれないが、この循環が積み重なることの意味は大きい。コストを「支出」ではなく「投資」として捉え直したとき、地域素材を使う建築の価値は違った姿を見せてくるはずだ。
その土地でしか生まれない建築へ
グローバリゼーションがあらゆるものを均質化していく時代だからこそ、建築は「ここにしかないもの」をつくることができる最後の砦の一つだと私は考えている。建築は動かせない。その場所に建ち、その土地の気候に晒され、その地域の人々の暮らしを受け止め続ける。だからこそ、建築にはその場所固有の物語を纏う資格がある。
地域の素材を使うとは、その物語を素材のレベルから紡ぎ始めるということだ。それは設計に手間と時間をかけることを意味するが、その過程で得られる豊かさは、効率だけを追い求めた先には決して生まれない。
もしあなたがこれから家を建てようとしているなら、一度、その土地の足元に目を向けてみてほしい。あなたが暮らす地域には、どんな木が育ち、どんな石があり、どんな土があるだろうか。そしてその素材を扱える職人は、まだそこにいるだろうか。その問いから始まる家づくりは、きっとあなたと土地との関係を、これまでとは異なる深さで結び直してくれるはずだ。