相談の場に、スマートフォンを向けてくる方が増えた。「SNSでこういう家を見て、こうしたいんです」。画面の中には、光が差し込む土間、造作のキッチン、大きな開口部から続くウッドデッキ——どれも美しい写真だ。私はそれを見ながら、毎回同じことを考えている。「この家の施主は、なぜこれを望んだのだろう」と。
SNSが逆転させたもの
建築の設計は、本来こういう順序で進む。施主の暮らし方・家族構成・価値観・敷地の条件を丁寧に聞く。そこから「何が必要か」を整理する。必要なものを実現するための「手段」として、具体的な空間や素材や仕掛けを選ぶ。
土間があるのは、「外から直接荷物を置きたい」「玄関で子どもの泥をそのまま洗い流したい」「自転車を家の中に入れたい」といった具体的な暮らし方の要求があったからだ。ウッドデッキがあるのは、「庭との境界を曖昧にして外で過ごす時間を増やしたい」「子どもを外で遊ばせながら室内から見守りたい」という希望があったからだ。
しかしSNSの上では、この順序が完全に逆になっている。「土間をつくったら、こんな豊かな暮らしになりました」「ウッドデッキがあるから、こういう時間が生まれました」——結果が原因として語られ、手段が目的として提示される。
「これがあるからこうなる」という幻想
この逆転が厄介なのは、見ている側にとって非常に説得力があることだ。
美しい写真と、その空間で暮らす人の豊かそうな日常。「こういう空間があれば、こういう生活が手に入る」というメッセージは、人の欲望に直接刺さる。そして「自分もこれが欲しい」という確信が生まれる。
だが立ち止まって考えてほしい。写真の中の土間は、その施主の具体的な暮らし方のために設計されたものだ。あなたの暮らし方は、その施主と同じだろうか。玄関の広さ、家族の人数、収納の優先順位、日常的な動線——それらが異なれば、「土間」という答えが正解かどうかも変わる。
手段は、目的に従属するものだ。目的なき手段は、空間の中で宙に浮く。
「これをつけてほしい」から始まる設計の危うさ
「SNSで見たから、これをつけてほしい」という要望を頭ごなしに否定するつもりはない。そのSNSの写真が、あなたの潜在的な欲求を言語化するきっかけになったのであれば、それは意義のあることだ。
問題は、その写真を「答え」として持ってくることにある。
本来、その写真は「問い」であるべきだ。「なぜこの空間が魅力的に見えるのか」「自分はここに何を感じているのか」「自分の暮らしのどの部分が、この写真と共鳴しているのか」——そう問うことで初めて、その写真はあなたの要望を引き出すための手がかりになる。
「土間が欲しい」ではなく「家に帰ってきたとき、もっとゆっくり切り替えたい」。「大きな窓が欲しい」ではなく「光の中で過ごす時間を増やしたい」。「造作キッチンが欲しい」ではなく「料理をもっと暮らしの中心に置きたい」——この違いが、設計の出発点を根本から変える。
設計者が本当に聞きたいこと
私が相談の場で最も時間をかけるのは、「何が欲しいか」ではなく「どう暮らしたいか」を聞くことだ。
毎朝何時に起きて、誰が最初にキッチンに立つか。子どもがいる場合、その子どもは何年後に独立するか。在宅で仕事をするか。来客は多いか。休日の過ごし方は外出型か在宅型か。10年後、20年後、この家で何をしているか——。
こうした問いに答えてもらうことで、「この方の暮らしに何が必要か」が浮かび上がってくる。そして必要なものが明確になったとき、それを実現するための「手段」として空間を設計する。その結果として土間が生まれることもあれば、生まれないこともある。ウッドデッキが最善解のこともあれば、全く異なる答えが出ることもある。
SNSの写真はあくまで、誰かの答えだ。あなたの答えは、あなたの暮らし方の中にある。
情報過多の時代に、設計者が果たすべき役割
SNSが普及したことで、施主が持ち込む情報量は格段に増えた。これ自体は悪いことではない。以前は言葉にできなかった「こういう感じが好き」というイメージを、写真で共有できるようになったことで、対話の質が上がった面もある。
しかし同時に、「情報」と「要望」と「目的」の区別が曖昧になってきた。膨大な選択肢の中で、自分が本当に何を求めているかが見えにくくなっている。
設計者の役割のひとつは、その霧を晴らすことだと思っている。「なぜそれが欲しいのか」を問い返し、欲しいものの裏にある本当の要求を引き出し、それを実現するための最善の手段を選ぶ。
SNSが見せる「結果」に引きずられず、あなた自身の「目的」から始める家づくり——それが、10年後も20年後も「この家でよかった」と思える空間につながると、私は信じている。
次に相談に来るとき、スマートフォンの写真は持ってきてもいい。ただし、その写真を見て「なぜ自分はこれに惹かれたのか」を、自分なりに言葉にしてきてほしい。そこから、本当の対話が始まる。