機能を持たせないこと——それは一見、設計の放棄に聞こえるかもしれない。しかし私はここ数年、まったく逆の確信を深めている。建築から機能を剥ぎ取ったとき、空間は初めて自由になる、と。
コアが用途を固定する——住宅という呪縛
住宅には「コア」と呼ばれる設備群がある。キッチン、浴室、トイレ。この三つが揃った瞬間、その空間は「住宅」になる。逆に言えば、この三つさえなければ、もっと多様な何かになれる可能性を持つ。
コアとは便利さの結晶であると同時に、用途の固定装置でもある。水回りを組み込んだ瞬間、床に配管が通り、壁に換気が組まれ、その部屋は「水回り」として永遠に機能し続けることを求められる。可変性が失われるのだ。
私が考えているのは、このコアを可能な限り「外付け」にすること——つまり建築本体から切り離すことで、空間そのものを限りなく自由な状態に保つことだ。
銀行建築が教えてくれたこと
かつての銀行建築を思い浮かべてほしい。重厚な石造りのファサード、強固なヴォールト(金庫室)、格子越しの窓口。あの建築は、防犯・信頼・権威という複数の機能要件が形をつくっていた。建築と機能が完全に一体化した「専用建築」の典型だ。
しかし今、銀行ATMはコンビニの片隅に収まり、振込はスマートフォンで完結する。かつて建築に内蔵されていた機能は、デジタルという「見えない層」に移行した。残された建築は、機能を失い、ただの箱になりつつある。
これを「衰退」と見る向きもあるだろう。だが私は逆に読む。機能を手放した建築こそ、最も豊かな可能性を秘めているのではないかと。
PayPayが示した主従の逆転
建築とはまったく異なる領域の話をしたい。決済システムの変化だ。
かつて店舗には重厚な決済端末(レジ)があり、それが「売買の主体」だった。しかしPayPayをはじめとするQRコード決済は、その主従を逆転させた。今や店舗側にあるのは一枚の紙——QRコードだけだ。決済の主体は買い手のスマートフォンに移り、店舗は「受け口」に徹している。
建築も同じ論理で変わり得る。厨房という「コア機能」を建築に内蔵する必要はない。センターキッチンで調理されたものを持ち込み、提供する。あるいは移動式カウンターを持ち込む。建築はそれを「受け取る枠」として機能すればいい。主従が逆転するのだ。
フレームとしての建築
機能を削ぎ落とした建築を、私は「フレーム」と呼ぶ。
フレームとは、それ自体には意味を持たないが、中に入るものに意味を与える構造体だ。写真のフレームが被写体を際立てるように、建築のフレームは活動を際立てる。そして被写体を変えれば、まったく異なる絵になる。
フレームとしての建築の中では、朝はコーヒーの香りが漂い、昼には定食の湯気が立ち、夜にはカクテルのグラスが並ぶ。あるいは週末だけポップアップショップが現れ、翌週にはヨガスタジオになる。用途は流動し、建築はその変化を静かに受け止める。これは理想論ではない。コワーキングスペース、シェアキッチン、リノベーションされた工場跡地——すでにそのような空間は各地に生まれている。
「最終的な箱」という提案
究極的に、建築は「最終的な箱」でいいのではないか——これが私の現時点での結論だ。
箱とは、ネガティブな意味ではない。あらゆる活動を受け入れる、最も誠実な容れ物だ。機能を押しつけず、用途を強制せず、ただそこにあって、そこに集まるものの関係を成立させる。
かつて師・大江匡から「箸はシンプルであるから多機能だ」という言葉を聞いた。切ることも、挟むことも、刺すことも、一本の棒の変奏にすぎない。建築も同じかもしれない。シンプルな箱であるからこそ、無限のプログラムを宿せる。
機能という名の呪縛を解いたとき、建築は初めて自由になる。あなたの街の「何もしない建物」は、実はもっとも豊かな可能性を眠らせているのかもしれない。