玄関の設計——家の顔が持つ空間的な力

玄関の設計——
家の顔が持つ空間的な力

河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

玄関の設計——家の顔が持つ空間的な力

最初の一歩が、住まいの記憶をつくる

玄関の扉を開けた瞬間、その家の空気を全身で感じ取る。私はこれまで数多くの住宅を設計してきたが、クライアントとの打ち合わせで玄関について深く議論する機会は、実は思いのほか少ない。リビングの広さ、キッチンの使い勝手、寝室の位置——そうした「暮らしの中心」に意識が向くのは当然のことだ。しかし私は、玄関こそがその家の「品格」を決定づける空間だと考えている。

毎日、家を出るとき。疲れて帰ってきたとき。大切な人を迎え入れるとき。玄関は一日に何度も通過する場所でありながら、その空間体験の質について、私たちはあまりにも無自覚ではないだろうか。

私が設計した住宅のクライアントから、竣工後しばらく経ってこんな言葉をいただいたことがある。「毎朝、玄関を出るときに気持ちが整う感覚があるんです」と。この言葉は、玄関という空間が持つ力を端的に表している。良い玄関は、人の心理状態を変容させる力を持っているのだ。

「通過する場所」から「佇む場所」へ

現代の住宅設計において、玄関は効率化の対象になりやすい。限られた床面積の中で、居室を広く取ろうとすれば、玄関は必然的に縮小される。「靴が脱げればいい」「傘が置ければいい」——そうした機能的な最低限を満たすことだけが玄関の役割だと考えられがちだ。

しかし私は、玄関を「通過する場所」ではなく「佇む場所」として設計することを大切にしている。

具体的に言えば、玄関に「視線の抜け」をつくることだ。扉を開けた瞬間、正面に壁があれば、人は無意識に圧迫感を覚える。一方で、視線がどこかへ抜けていく設計——たとえば奥に小さな坪庭が見える、あるいは吹き抜けを通して二階の天井が見える——そうした仕掛けがあると、人は自然と足を止め、深呼吸をしたくなる。

また、天井高にも気を配る。一般的な住宅の天井高は2.4メートル程度だが、玄関だけ少し高くする、あるいは逆に意図的に低くしてから居室で開放感を演出する、という手法もある。空間のシークエンス——つまり連続した空間体験の設計において、玄関は「序章」としての役割を担っているのだ。

光の入り方が玄関の性格を決める

私が玄関を設計する際、最も時間をかけて検討するのが「光」である。玄関にどのような光を入れるかで、その家の印象は大きく変わる。

北側玄関の住宅は少なくない。日本の住宅地では、南側にリビングを配置することが多いため、必然的に玄関は北や東、西に配置されることになる。北側玄関は直射日光が入りにくく、暗くなりがちだという先入観があるが、私はむしろ北側の光の美しさに注目している。北からの光は安定していて、柔らかい。一日を通して劇的に変化しないからこそ、穏やかな空間をつくることができる。

ある住宅では、玄関の上部にハイサイドライト(高窓)を設け、北側の空の光だけを取り込む設計にした。直接光ではない、空からの散乱光が玄関土間のモルタル床に落ちる。その静謐な光の質は、住む人に「帰ってきた」という安心感を与えているようだ。

一方で、東側玄関であれば朝の光を、西側玄関であれば夕方の光を活かす設計も考えられる。朝、出勤前に玄関で靴を履くとき、東から差し込む光に照らされる——それだけで、一日の始まりが少し特別なものになる。光は無料の建材だ。それをどう使うかは、設計者の腕の見せどころである。

素材の選択——五感で感じる玄関

玄関は、住まいの中で最も多様な素材が出会う場所でもある。外から持ち込まれる土や埃、雨に濡れた靴、季節ごとに変わる気温と湿度。そうした過酷な条件に耐えながら、美しさを保つ素材を選ばなければならない。

私が好んで使うのは、モルタル、タイル、そして石だ。特にモルタルの土間は、使い込むほどに味わいが増す。最初は均一だった表面に、小さなクラックや色むらが生まれ、それが「この家で過ごした時間」の証になっていく。完璧な状態を維持することだけが美しさではない。経年変化を受け入れ、むしろそれを楽しめる素材を選ぶことで、玄関は時間とともに熟成していく。

また、玄関では「足触り」も重要だ。靴を脱いで最初に足が触れる場所——そこがひんやりとした石なのか、温もりのある木なのかで、帰宅時の感覚は全く異なる。私はクライアントに必ずサンプルを触ってもらい、「この素材に毎日、素足で触れることを想像してください」と伝える。カタログの写真だけでは、素材の本当の力は伝わらない。

収納と余白のバランス

玄関に求められる収納は、年々増えている印象がある。靴だけでなく、コートや鞄、ベビーカー、アウトドア用品、宅配ボックス、さらには感染症対策で手洗い場を希望されることも増えた。機能的な要求を満たすことは大切だが、私はそれと同時に「余白」を守ることにこだわっている。

玄関に余白があるとはどういうことか。それは、何も置かれていないスペース、目的のない空間が存在するということだ。たとえば、玄関を入って正面に小さなニッチ(くぼみ)をつくり、季節の花を一輪飾れるようにする。あるいは、腰掛けられる程度の小さなベンチを設け、靴を履く前にほんの少し座れるようにする。

そうした余白は、一見すると「無駄」に見えるかもしれない。しかし、その無駄こそが、玄関を単なる機能空間から、心理的な「結界」へと昇華させる。外の世界と内の世界を分ける、見えない境界線。その境界線を意識できる玄関は、住む人の心に確かな安らぎを与えてくれる。

玄関から始まる、住まいの物語

玄関は、家の顔であると同時に、「家の物語」の始まりでもある。訪れた人が最初に体験する空間であり、住む人が毎日繰り返し通過する空間。その小さな空間に込められた設計者の意図は、言葉にならなくても、体験する人の無意識に届いている。

私は設計の初期段階で、必ず「この家の玄関で、あなたはどんな気持ちになりたいですか」と問いかけるようにしている。最初は戸惑われることも多いが、少しずつ言葉が出てくる。「背筋が伸びるような」「ほっとするような」「静かな気持ちになれるような」——そうした言葉の中に、その家族らしい玄関のヒントが隠れている。

あなたが今住んでいる家の玄関を、改めて観察してみてほしい。扉を開けたとき、何が見えるだろうか。どんな光が入っているだろうか。足元にはどんな素材があるだろうか。そして、そこに立ったとき、あなたはどんな気持ちになっているだろうか。

玄関という小さな空間の中に、住まいの本質は凝縮されている。

東京の建築家・河添甚に相談する

河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

1977年、香川県生まれ。大阪工業大学建築学科卒業後、組織設計事務所で複合施設・商業施設の設計に携わる。2010年、河添建築事務所を設立。東京テクニカルカレッジ非常勤講師も務める。香川・東京を拠点に、「なぜその形か」を問い続ける設計を行う。

NEXT STEP

玄関から始まる
理想の住まいづくり

家の第一印象を決める玄関設計。あなたの暮らしに寄り添う空間づくりを、私たちと一緒に考えてみませんか。

コラム一覧へ