礼拝堂に向かう前に、麓で立ち止まった。

道の両側に、コンクリートの壁があった。
背丈ほどの壁が、参道のように両側から挟んでいる。壁の表面に、金属のパネルが埋め込まれている。近づくと、文字が刻まれていた。
奥に、礼拝堂の白い塔が見える。

壁の前で、足が止まった。
巡礼者の言葉や名前が、パネルに刻まれているらしかった。ロンシャンに訪れた人々が、ここに言葉を残している。礼拝堂に上がる前の、準備のような場所だ。
石の壁が、記憶を積んでいる。

建物の全体が見えた。
コンクリートの低い建物が、丘に沿って横に伸びている。背後に礼拝堂の白い塔が立ち上がっている。
コルビュジエの礼拝堂は、空に向かって立ち上がる。ピアノのポルトリーは、地面に沿って横に広がる。二つの建物が、同じ丘の上で向き合っている。
建物の脇を歩いた。

壁の高さを抑えた横長の建物が、丘の傾斜に寄り添っている。屋根の縁から草が覗いている——緑の地面が屋根まで続いている。建物が、丘に埋まろうとしている。
ピアノは「見えない」ことを選んだのだと思った。
入口に来た。

細い鉄柱が並び、上部に金属の格子が張られている。全面ガラス。光が透けている。
礼拝堂の入口は、分厚いコンクリートの壁に小さな木のドアが収まっていた。こちらは、壁がない。透明だ。
素材が違うだけで、こんなに別の建物に感じる。
丘の中腹から、全景を見た。

建物が、丘に溶けていた。
草地の中に、屋根の縁だけが見えている。体積を主張しない。地面の高さに従って、建物が隠れている。
コルビュジエが丘の上に礼拝堂を「置いた」とすれば、ピアノは丘の斜面に建物を「沈めた」。

模型があった。
ラ・コリン・ノートルダム・デュ・オー。この丘全体の模型だ。
礼拝堂(コルビュジエ、1955年)。鐘楼(ジャン・プルーヴェ、1975年)。修道院(レンゾ・ピアノ、2011年)。ポルトリー(レンゾ・ピアノ、2011年)。
三人の建築家が、六十年かけてこの丘を作ってきた。
なぜ、この丘にもう一つの建築が生まれたのか。
修道院の活動が続く限り、巡礼者を受け入れる場所が必要だった。ピアノへの依頼は、コルビュジエの礼拝堂の隣に建てるという条件を最初から持っていた。
傑作の隣に、自分の建物を建てる。ピアノは対抗しなかった、ということなのだと思う。目立たない。主張しない。礼拝堂の前に立つと、ポルトリーのことを忘れていた。
正面から丘を見ると、礼拝堂だけが見える。ポルトリーは、見えない。
それが答えだったのかもしれない。




