京都駅に降りた。
新幹線の改札を抜けると、上が開けた。天井がない。いや、ある。ただし遠い。

大階段だ。
建物の中央を、35段の段差が南北に貫いている。コンサートが終わったばかりなのか、階段に人が散らばっていた。誰かが写真を撮っている。地元の若者が座り込んでいる。
設計者が「座ってほしい」と思っていたかどうかは分からない。でも、人は座っていた。
ここは駅ビルの中のはずだ。でも屋外にいるような感覚がある。
設計は原広司。1997年、竣工。
当時、この建物は賛否が激しかった。古都の玄関口に、なぜこれほど巨大で異形の建物を建てるのか。高さ60メートル。東西470メートル。延床面積238,000平方メートル。
なぜ、こうなったのか。

原広司は「都市の凝縮」と言った。
世界の主要都市が持つ要素——広場、路地、塔、庭、市場——を一つの建物に圧縮して並べる。京都という都市が一千年かけて積み上げてきた要素を、一つの駅ビルの断面に凝縮しようとした。
それが、あのアトリウムだ。
屋上に上がった。

鉄骨のアーチが、頭上で大きく弧を描いている。デパート、ホテル、映画館、レストラン——それらが一つの構造体の中に重なっている。

空中庭園には竹が植えられていた。石畳と芝生が交互に置かれ、小さな日本庭園の文法がある。地上60メートル、鉄骨の中に、庭があった。

夜になると、屋上から京都の夜景が見えた。東山の手前に、街の光が広がっている。古い街並みと新しいビルが混在している。
原広司が建てたこの建物は、その夜景の「額縁」になっている。
OMAが天神に置いたファサードのことを思い出した。あちらはガラスの皮膚が街を映した。こちらは鉄骨の骨格が街を抱き込む。アプローチは違うが、問いは似ている——建築は都市とどう向き合うか。

スカイウェイを歩いた。
鉄骨のトラスが頭上を覆い、トンネルのように伸びている。外の光が、格子越しに差し込んでくる。歩くほどに、建物の「骨」の中にいることが分かる。構造がそのまま空間になっている。隠さない設計だ。

最上部まで上がると、京都タワーが正面に見えた。
あのタワーは1964年竣工。山のない京都の空に、燭台をモチーフにした塔が立っている。当時も賛否があった。京都駅ビルも1997年に賛否があった。
古都はいつも新しい建築と対立してきた。そして時間が経つと、新しかったものが「京都らしいもの」になっていく。

中庭の広場に降りると、プロジェクションマッピングが始まった。
壁面に、清水寺、平安神宮——京都の名所が映し出されている。巨大なコンクリートの壁がスクリーンになっている。
皮肉とは思わなかった。むしろ、この建物が「古都の記憶の容れ物」であろうとしていることが、ここで一番分かりやすく現れた。

アトリウムの天井を、もう一度見上げた。
鉄骨が格子状に交差し、奥へと伸びている。均質で、巨大で、どこか宇宙的な構造だ。これを「美しい」と思うかどうかは分からない。でも、圧倒された。
建物に圧倒される経験が、最近少なくなっていた気がする。

なぜ、古都の玄関口にこの建物が生まれたのか。
原広司の答えは「京都のすべてを凝縮した空間」だった。
それが正しいかどうかは、今も議論がある。ただ、あの大階段に人が座り続けていることは確かだ。1997年から今日まで、設計者の思惑を超えて、人が使い続けている。
建築の成否は、そこで決まると思っている。

京都駅を出た。
駅ビルの外に出ると、鉄骨の存在感が急に薄れ、京都の街が戻ってくる。
建物の中と外で、世界が切り替わる。その断絶こそが、原広司の設計した「境界」なのかもしれない。




