建築と記憶——場所が持つ時間の厚み
古い梁に残された鉈の痕跡
先日、築百年を超える古民家の改修プロジェクトで、天井を解体したときのことです。現れた松の梁には、無数の鉈(なた)の痕跡が刻まれていました。百年以上前、この梁を手斧で整えた職人の、一打ち一打ちの記憶です。
私はしばらくその場に立ち尽くしていました。
その痕跡は、単なる「古さ」ではありませんでした。ここに確かに誰かがいて、汗を流し、木と向き合っていた——その時間が、目の前に凝縮されていたのです。建築を設計するということは、このような「時間の厚み」とどう向き合うかということでもあります。
新築であれ、改修であれ、私たちが設計する建築は、その場所がすでに持っている時間の上に重ねられていきます。更地に見える土地にも、かつての暮らしの記憶、土地の歴史、光や風の流れ方の蓄積があります。それを無視して建てられた建築は、どこか根無し草のような心許なさを纏ってしまう。私が設計において「場所を読む」ことを重視するのは、そうした理由からです。
場所が語る声に耳を傾ける
設計の初期段階で、私は必ず敷地に何度も足を運びます。朝、昼、夕方、できれば雨の日も。図面や写真では決してわからない、その場所だけが持つ空気感を身体で受け取るためです。
ある住宅プロジェクトで印象的だったのは、敷地の隅にあった一本の柿の木でした。施主からは「邪魔なので伐ってほしい」と言われていました。しかし現地に立ってみると、その柿の木は、隣家との絶妙な距離感をつくり、西日を柔らかく遮り、秋には実をつけて季節を告げる——そんな存在でした。聞けば、施主の祖父が植えたものだといいます。
私は計画を調整し、その柿の木を残すことを提案しました。リビングから見える位置に配置し、木の存在が暮らしの一部になるよう設計したのです。竣工後、施主から「あの木を残してよかった。祖父との会話が続いているような気がする」という言葉をいただきました。
建築は、このような「場所の声」を翻訳する行為だと私は考えています。声は必ずしも言葉ではありません。光の入り方、風の通り道、隣家との関係、道路からの見え方——あらゆる要素が、その場所の記憶を形づくっています。
新しさと懐かしさの共存
「古いものを残す」ということと「懐古趣味」は、まったく異なります。
私が設計で心がけているのは、場所の記憶を継承しながらも、現代の暮らしにふさわしい新しさを重ねることです。古民家改修でいえば、百年前の梁や柱の力強さを活かしつつ、断熱性能や設備は現代の水準に引き上げる。過去と現在が対話するような空間をつくることで、建築は単なる「保存」を超えて、生きた存在になります。
新築の場合も同様です。その土地に住んでいた人々の記憶、地域の風景の文脈、素材の経年変化——こうした「時間」の要素を設計に織り込むことで、竣工直後から「なぜか懐かしい」と感じられる建築が生まれます。
私が好んで使う素材に、左官仕上げの土壁があります。土壁は、職人の手の動きがそのまま表情となり、光によって刻々と陰影を変え、年月とともに味わいを増していきます。工業製品の均質な美しさとは対極にある、「時間を味方につける」素材です。このような素材を選ぶことも、建築に記憶を宿すひとつの方法なのです。
記憶を継ぐ器としての住宅
住宅設計において、私がもっとも大切にしていることがあります。それは、その家が「記憶を継ぐ器」になるかどうか、ということです。
住宅は、そこで暮らす人々の日常を受け止める容器です。朝の光が差し込むダイニングで交わされる会話、雨の日に窓辺で過ごす静かな時間、子どもが走り回る足音——そうした無数の瞬間が積み重なり、やがてその家だけの記憶になっていきます。
だからこそ、住宅の設計は「今」だけを見て行うものではありません。十年後、二十年後、子どもが大人になり、やがて次の世代に受け継がれていく——そうした時間の流れを想像しながら設計することが求められます。
具体的にいえば、たとえば天井高の設定ひとつとっても、そこには長期的な視点が必要です。流行りの高天井は開放感がありますが、歳を重ねたときに落ち着かなく感じることもあります。逆に、適度に抑えられた天井高は、年月を経るほどに身体に馴染み、安心感を与えてくれます。
また、私は「余白」のある設計を心がけています。すべてを作り込みすぎず、住まい手が自分たちの暮らしで埋めていける余地を残すこと。その余白に、家族の記憶が少しずつ刻まれていくのです。
時間を設計するということ
建築家の仕事は、空間を設計することだと思われがちです。しかし私は、空間と同時に「時間」を設計しているのだと感じています。
その場所が過去から継承してきた時間を読み取り、現在の暮らしに翻訳し、未来へと手渡していく。建築とは、過去・現在・未来をつなぐ結節点なのです。
私が影響を受けた建築家のひとりに、スイスのピーター・ズントーがいます。彼は「建築は記憶を宿すことができる」と語り、自身の作品において、素材の質感や光の扱い方を通じて、訪れる人の記憶に働きかける空間をつくり続けています。彼の建築を体験したとき、私は建築が持つ「時間の厚み」の可能性を強く感じました。
もちろん、すべての建築が百年、二百年と残るわけではありません。しかし、たとえ数十年の寿命であっても、その建築がどれだけの記憶を宿し、どれだけの時間の厚みを持てるかは、設計次第で大きく変わります。
あなたの場所が持つ時間に触れてみる
これから住宅を建てようとしている方、あるいは今の住まいについて考えている方に、ひとつ提案があります。
あなたが暮らす場所、あるいはこれから暮らそうとする場所に、何度か足を運んでみてください。できれば、図面やカタログを見る前に。その場所にはどんな光が入りますか。どんな音が聞こえますか。近くにはどんな木がありますか。その土地には、かつて何があったのでしょうか。
場所の記憶に触れることは、自分自身の記憶に触れることでもあります。どんな風景の中で育ち、どんな空間に安らぎを感じてきたか。そうした個人的な記憶と、場所が持つ時間の厚みが重なり合うとき、本当に豊かな住まいが生まれるのだと私は信じています。
建築は、時間を固定するものではありません。時間を重ね、時間とともに変化し、時間を未来へ手渡していくもの。あなたの住まいが、そんな「時間の厚み」を持った存在になることを願っています。