バーゼルから路面電車に乗って、終点で降りた。
リーエン。バーゼルに隣接する小さな村だ。農地と住宅が混ざった景色の中を、雨の中を歩いた。

遠くに、建物が見えてきた。
低い。地面に沿って、ひたすら横に伸びている。背丈を主張しない。農地の向こう側に、ただ静かにある。
これが美術館だとは、知らなければ気づかないかもしれない。

近づくと、赤砂岩の柱が並んでいた。
アルゼンチン・パタゴニアから運ばれた石だと、後で知った。壁のすべてに、その石が使われている。雨に濡れると、色が深くなる。池に映って揺れている。
ピアノは石を選んだ。ガラスを選ぶ前に。

エントランスに着いた。
屋根の縁に、薄いターコイズのパネルが張られている。石の重さと、光の軽さが、入口で出会っている。傘立てに、来場者の傘が並んでいた。雨の日曜日だ。
中に入ると、天井が光っていた。

ガラスの天井全体が、均一に白く光を放っている。人工光ではない——外の曇り空が、天井のルーバーを通して拡散されている。絵のための光だ。直射しない。斜めに当たらない。ただ、均等に降りてくる。
床は木。壁は石。窓の外に庭。内と外のあいだに、ガラスがある。

足元に、細いグリルが並んでいた。
ガラスの壁際に沿って、床の暖房が走っている。石の外壁とガラスの接合部——その細い隙間を、熱が埋めている。こういう細かいところに目が行く。建物を見に来たのか、ディテールを探しに来たのか、よくわからなくなる。

長い廊下を歩いた。
片側に赤砂岩の壁。もう一方にガラスと庭。廊下には植物が置かれている。美術館の中に、庭がある。正確には、庭と美術館のあいだに、この廊下がある。
ここだけ、空気が違う。
展示室に入ると、バゼリッツの作品が並んでいた。

天井からの光が、均等に絵を照らしている。
黄色い頭部の彫刻。逆さに描かれた人体。なぜ逆さなのか、その場では答えが出なかった。ただ、光は均等に降りていて、逆さであることを特別扱いしていない。

大きなキャンバスの前に、人が座っていた。
逆さの人体が二体、黒い背景の中に浮いている。誰も言葉を発していない。光だけが降りている。
美術館が、このくらい静かであることが、どれほど難しいことか。
建物を出ると、また雨だった。

庭の水盤に、雨が当たっている。段になった芝が、奥の木立まで続いている。
バイエラー財団は、エルンスト・ベイエラーという画廊主がつくった美術館だ。50年かけて集めたコレクションを、世界に公開したかった。バーゼルを選んだのは、ここが彼の街だったから。自分の庭に、建てた。
ピアノに依頼した理由を、彼はこう語ったという。「絵画のための光を理解している建築家が必要だった」と。
なぜレンゾ・ピアノが、ロンシャンの丘にも同じように沈む建物を設計したのか——その答えは、この光の中にあるかもしれない。
答えは出ないまま、路面電車でバーゼルに戻った。




