テラゾーの復権——集合素材が見せる現代性
忘れられた床材との再会
数年前、あるヨーロッパのホテルを訪れたとき、ロビーの床に目を奪われた。白いセメントの中に、大小さまざまな大理石の欠片が散りばめられ、磨き上げられた表面が柔らかな光を放っていた。テラゾーだ。私は思わず立ち止まり、その床をしばらく眺めていた。
テラゾーという言葉を聞いて、どんな印象を持たれるだろうか。おそらく多くの方が「昭和の建物の床」「学校や病院で見た」「少し古臭い」といったイメージを抱くのではないだろうか。実際、私自身もそうだった。1990年代以降、テラゾーは日本の建築シーンからほとんど姿を消し、代わりに大判タイルや人工大理石が主流となっていった。
しかし今、世界の建築シーンでテラゾーが静かに、しかし確実に復権を遂げている。なぜこの「古い」素材が再び注目されているのか。そこには現代建築が求める新しい価値観との深い共鳴がある。
集合素材という思想
テラゾーの本質は「集合素材」であるという点にある。大理石、花崗�ite、ガラス、貝殻、金属片——さまざまな骨材をセメントやレジンで固め、研磨して仕上げる。完成した表面には、それぞれの素材が持つ色や質感が混在し、一つとして同じパターンは生まれない。
私はここに、現代社会が求める多様性の象徴を見る。
均質で完璧な素材への信仰は、20世紀後半の建築を支配していた。傷一つない人工大理石、寸分の狂いもない工業製品。それらは確かに美しく、施工も容易だった。しかしどこか息苦しさを感じる空間が増えていったのも事実だ。
テラゾーは違う。異なる素材が一つの平面に共存し、それぞれの個性を保ちながら全体として調和している。この「完璧ではないが美しい」という在り方が、現代の私たちの感性に響くのだろう。
住宅設計においても、私はこの考え方を大切にしている。すべてを揃え、整えることが豊かさではない。むしろ異なるものが自然に共存できる空間こそが、長く住み続けられる家になる。
現場で感じるテラゾーの可能性
実際に設計でテラゾーを採用する機会が増えてきた。特に印象的だったのは、都内のある住宅の玄関ホールに採用したプロジェクトだ。
クライアントの要望は「帰宅したときに気持ちが切り替わる、特別な空間」だった。さまざまな素材を検討したが、最終的にテラゾーを提案した。骨材には白大理石を基調に、淡いグレーの花崗岩、そしてわずかに真鍮の欠片を混ぜることにした。
施工は現場打ちを選択した。職人がセメントを流し込み、骨材を散らし、固まった後に何度も研磨を重ねる。工場生産の既製品とは異なり、まさにその場所のために生まれる一点物だ。
完成した床は、期待以上の表情を見せてくれた。朝の光、夕方の光、夜の照明——時間帯によって異なる輝きを放ち、真鍮の欠片がときおりきらりと光る。クライアントからは「毎日床を見るのが楽しみになった」という言葉をいただいた。
一方で、テラゾーには難しさもある。現場打ちの場合、職人の技術によって仕上がりに差が出る。また、骨材の配置はある程度コントロールできるが、完全に意図通りにはならない。この「偶然性」を許容できるかどうかが、採用の分かれ目になることも多い。
私個人としては、この偶然性こそがテラゾーの魅力だと考えている。設計者がすべてをコントロールするのではなく、素材と職人と偶然の協働によって空間が生まれる。その過程自体に、建築の本質的な喜びがある。
サステナビリティという視点
テラゾー復権のもう一つの背景に、環境への意識の高まりがある。
従来、石材の加工過程で生まれる端材や粉塵は、多くが廃棄されていた。しかしテラゾーの骨材として再利用すれば、資源の循環が生まれる。実際、解体された建物の大理石を砕いて新しいテラゾーの骨材にするという試みも増えている。
あるプロジェクトでは、クライアントの実家を建て替える際、古い建物で使われていた石材をテラゾーの骨材として再利用した。新しい家の床には、かつての家の記憶が物質として刻まれている。単なるリサイクルを超えた、記憶の継承という意味が生まれた。
また、テラゾーは耐久性が高く、適切なメンテナンスを行えば数十年にわたって使い続けることができる。これは「つくっては壊す」という消費型の建築から、「長く使い続ける」という持続型の建築への転換を象徴している。
私は住宅設計において、30年後、50年後にどうなっているかを常に想像するようにしている。流行に左右されず、時間とともに味わいを増していく素材を選ぶこと。テラゾーはその条件を満たす数少ない選択肢の一つだ。
現代のテラゾーが見せる新しい表現
技術の進歩により、テラゾーの表現の幅は格段に広がっている。
かつては骨材の大きさや色の選択肢が限られていたが、現在は極めて細かい粒子から大きな欠片まで自在に選べる。色も自然石だけでなく、着色ガラスやリサイクル素材など、多様な選択肢がある。レジンを使ったテラゾーでは、より鮮やかな色彩表現も可能になった。
私が最近注目しているのは、骨材の「見せ方」の変化だ。従来のテラゾーは研磨して平滑に仕上げるのが一般的だったが、あえて骨材の凹凸を残したり、表面をサンドブラストで荒らしたりする手法が生まれている。これにより、テラゾーは「床材」から「壁材」「家具の素材」へと用途を広げている。
先日手がけた住宅では、キッチンカウンターにテラゾーを採用した。白いセメントに黒い玄武岩と深緑の蛇紋岩を混ぜ、落ち着いた表情を持たせた。日々の料理の中で、少しずつ表情が変化していくことも楽しみの一つになる。
大量生産品にはない「この場所だけの素材」という価値。それは、住宅という極めて個人的な空間において、特別な意味を持つ。
素材が語りかけるもの
建築において、素材の選択は単なる機能や意匠の問題ではない。そこにはつくり手の思想が宿り、住む人の暮らしに影響を与え続ける。
テラゾーが現代に復権した背景には、多様性への肯定、持続可能性への意識、そして完璧さよりも豊かさを求める価値観の変化がある。異なる素材が共存し、偶然性を受け入れ、時間とともに変化していく。その在り方は、私たちがこれからの社会に求めるものと深く重なっている。
もちろん、テラゾーがすべての住宅に適しているわけではない。コストや施工の条件、メンテナンスの問題もある。しかし、住まいの床や壁を選ぶとき、その素材がどのような思想を持っているのかを考えてみることは、価値ある営みだと私は信じている。
あなたの家には、どんな素材がふさわしいだろうか。そしてその素材は、30年後のあなたに何を語りかけてくれるだろうか。