郊外住宅地の未来——ベッドタウンの次のかたち
「通勤のための街」という前提が崩れるとき
郊外のいわゆるベッドタウンに建つ住宅について考えるとき、いつも思い出す光景があります。駅から徒歩15分、整然と区画された住宅街の一角。毎朝6時半に家を出て、都心のオフィスへ向かう生活を20年以上続けている住まい手。「この街は寝るためだけの場所なんです」——そうした言葉を耳にするたび、郊外住宅地の本質について考えさせられます。
高度経済成長期以降、日本の郊外住宅地は「都心で働く人が眠る場所」として発展してきました。ベッドタウンという呼称そのものが、この街の本質を表しています。しかし、2020年以降のパンデミックを経て、私たちの働き方は根本から変わりました。リモートワークの普及により、「通勤」という行為の意味が問い直されています。
私の事務所にも、ここ数年で郊外住宅の相談が明らかに増えました。興味深いのは、相談内容の変化です。以前は「駅からの距離」や「通勤時間」が最重要項目でしたが、今は「在宅勤務のためのワークスペース」「地域とのつながり」といったテーマが上位に来るようになりました。郊外住宅地は今、その存在意義そのものを再定義する岐路に立っています。
空き家と高齢化——見て見ぬふりできない現実
郊外住宅地の未来を語るとき、避けて通れないのが空き家問題です。たとえば神奈川県のある住宅街では、10軒に1軒以上が空き家になっています。かつては子育て世代で賑わった街も、今は高齢者世帯が大半を占め、庭の手入れが行き届かない家が目立ちます。
この問題の根深さは、単なる「人口減少」では説明しきれません。1970年代から80年代にかけて一斉に開発された郊外住宅地は、住民の年齢構成が極端に偏っています。同じ時期に30代で入居した人々が、今は70代、80代になっている。世代の新陳代謝が起きにくい構造が、最初から組み込まれていたのです。
また、郊外住宅地特有の「一戸建て信仰」も課題を複雑にしています。広い敷地に建つ一戸建ては、高齢者にとって維持管理の負担が大きい。しかし、売却しようにも需要が限られ、建物の価値はほぼゼロに近い。土地の値段だけで取引されるケースが大半です。築30年の住宅が「解体前提」で評価される現場は、郊外住宅地では珍しくありません。
「職住近接」から「職住融合」へ
では、郊外住宅地に未来はないのでしょうか。私はむしろ、大きな可能性があると考えています。その鍵となるのが、「職住融合」という新しい住まい方です。
従来の「職住近接」は、職場と住居の距離を縮めることを目指していました。都心に住めば通勤時間が短くなる、という発想です。しかし「職住融合」は、そもそも「働く場所」と「暮らす場所」を分けないという考え方です。
たとえば郊外の住宅で、1階に小さなアトリエ兼ショップを設けるケースがあります。自宅で制作した作品を地域の人々に直接販売し、週に数日だけ都心のクライアント先に出向くという働き方。仕事の大半は自宅で完結し、通勤時間がなくなった分、地域の活動に参加できるようになる。こうした暮らし方が、郊外住宅地では現実のものになりつつあります。
郊外住宅地の「広さ」は、このような職住融合型の暮らしに適しています。都心のマンションでは実現しにくいワークスペースや、趣味を仕事にするためのアトリエ、さらには小規模な店舗やサロンまで、敷地に余裕があるからこそ可能になる住まい方があります。
「計画的すぎた街」を解きほぐす
郊外住宅地のもうひとつの特徴は、その「計画性」です。用途地域が厳密に分けられ、住宅は住宅、商業は商業と、機能ごとに整理された街並み。しかし私は、この計画性が今となっては足枷になっていると感じることがあります。
たとえば、自宅の一部を改装して週末だけ営業するカフェを開きたいという相談を受けることがあります。しかし、その地域が「第一種低層住居専用地域」に指定されている場合、飲食店の営業は原則として認められません。結局、別の場所を探さざるを得なくなる。こうしたケースは少なくありません。
もちろん、住環境を守るための規制は必要です。しかし、街の実態が変化しているにもかかわらず、半世紀前に決められたルールがそのまま適用され続けることには疑問を感じます。空き家が増え、商店街がシャッター通りになっている今、「住居専用」という純化された空間が本当に住民の幸福につながっているのでしょうか。
私が注目しているのは、いくつかの自治体で始まっている用途地域の柔軟な運用です。一定の条件のもとで、住宅地内での小規模な店舗や事務所の営業を認める動きがあります。計画的につくられた街を、少しずつ「解きほぐしていく」作業が、これからの郊外住宅地には必要だと考えています。
世代を超えて住み継がれる家
郊外住宅地の再生において、建築家として私が最も重要だと考えているのは、「住み継がれる家」をつくることです。
現在の日本の住宅は、平均して30年程度で建て替えられています。これは世界的に見ても極端に短い数字です。30年で価値がゼロになる住宅を、35年ローンを組んで購入する。この矛盾が、郊外住宅地の空き家問題を加速させています。
築40年の住宅であっても、構造体がしっかりしていれば、間取りを変え、断熱性能を上げ、設備を更新することで、十分に現代の暮らしに対応できます。むしろ、当時の職人が丁寧に施工した木造住宅には、今では得がたい質の高さがあることも少なくありません。
また、新築を設計する際には、「30年後にどう使われるか」を常に意識しています。子育て期には個室が必要でも、子どもが独立すれば使い方は変わります。あるいは、まったく別の家族が住むかもしれません。そのときに柔軟に対応できる構造、間取り、設備配置を考えることが、住宅の寿命を延ばすことにつながります。
「眠る街」から「暮らす街」へ
郊外住宅地の未来を考えるとき、私はいつも「この街に何があれば、一日を過ごせるだろうか」と自問します。
都心に通勤しないのであれば、仕事をする場所が必要です。打ち合わせができるカフェ、集中して作業できるコワーキングスペース、あるいは自宅の一角に設けたワークルーム。食材を買う店、子どもを預ける場所、散歩できる公園、ふらりと立ち寄れる本屋や図書館。そして何より、顔見知りの住民と言葉を交わせる関係性。
これらは、かつてのベッドタウンには必ずしも必要なかったものです。なぜなら、住民は街にいなかったから。しかし、住民が街に「いる」時間が長くなった今、郊外住宅地に求められる機能は根本的に変わりつつあります。
たとえば、道路に面した部分に大きな縁側のようなスペースを設けた住宅があります。近所の子どもたちが自由に座れるようにしたその場所は、些細なことかもしれません。しかし、こうした小さな「街へのひらき」が積み重なることで、住宅街の風景は少しずつ変わっていくのではないでしょうか。
あなたが今住んでいる街、あるいはこれから住もうとしている街を、「眠るための場所」ではなく「暮らす場所」として見つめ直してみてください。そこにはどんな可能性が眠っているでしょうか。そして、その可能性を引き出すために、建築には何ができるでしょうか。私は日々、その問いと向き合いながら設計を続けています。