ナポレオン中庭に入ったとき、まず人の多さが目に入った。
その中央に、ガラスのピラミッドが立っていた。透明で、周りのルーヴル宮殿の石造ファサードを映している。白い空が映っている。
ピラミッドの周りを歩いた。
近づくと三角形の金属フレームが細かく、ガラス面が675枚の菱形パネルで分割されているのが分かった。鋼鉄のフレームは最小断面まで細くされ、その細さがガラスの透明性を保っている。
イオ・ミン・ペイ、1989年。
このピラミッドが発表されたとき、パリ市民は反発した。
「宮殿を汚す」「文化的破壊だ」——署名運動が起き、建築家への個人攻撃まであったという。歴史的建造物の中庭に、まったく異質な形を置く。そのラジカルさへの拒絶は、パリがいかに自分の都市の像を守ろうとしているかを示していた。
地下に降りた。
エスカレーターで下りると、地下のロビーに出た。天井を見上げると、さっき外から見ていたピラミッドが上にある。ガラスを通して空が見える。地下にいながら、光が直接入ってくる。

石造の宮殿の地下に、光が充満している空間があった。
なぜピラミッドの形だったのか。
ペイは問われてこう答えたとされる——ギリシャ建築でもゴシックでもなく、普遍的な幾何学を使いたかった、と。ピラミッドは古代文明が共通して使ってきた形だ。「フランスのものでも外来のものでもない」形を選ぶことで、宮殿と中立な対話ができると考えた。
設計者として見ると、この選択には別の論理もある。四角錐は、地面に接する面積を最大にしながら上部を最小にできる形だ。地下にあるエントランスホールへの採光を最大化しながら、宮殿の視線を最小限にしか遮らない——機能的な合理性が形の選択に含まれている。
1980年代、ルーヴルは来館者の増加に対応できていなかった。ミッテラン大統領の「グラン・ルーヴル」計画が、ペイを招いた背景にある。
問題は入口だった。ルーヴルは三方向をコの字型の宮殿で囲まれた中庭を持つ。入口がどこにあるか、来館者には分かりにくかった。ピラミッドを中庭の中央に置くことで、どこから来ても中央に向かえば入口に辿り着く、というシステムが生まれた。
形だけではなく、動線のシステムが問題を解いた。
地上に戻ると、空が曇っていた。
曇りのガラスピラミッドは、少し灰色に見えた。晴れの日に来ていれば、地下に入る光の量が全然違っていただろう。建築の表情が、空に依存している。
ペイへの最初の拒絶が、今では「ルーヴルの顔」になった。建築が都市に受け入れられるまでの時間は、建物の寿命より短い。
いつ「受け入れられた」のか——誰が決めるのか。それも、建築を巡る問いのひとつだ。




