ボーブール広場に着いたとき、まず人の多さが目に入った。
広場が斜めに傾いていて、そこに人が座っている。サーカスの芸人がいる。観光客がいる。その奥に、カラフルな配管の建物が立っていた。
近づくと、外壁がパイプと骨組みの集合体だと分かった。
赤、青、黄、緑。空調ダクト、電気配管、水道管、エレベーターシャフト。建物の「内側」にあるべきものが、すべて外に出ている。
レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャース、1977年。

側面に回った。
正面からは見えない角度から見ると、パイプのシステムがいかに整然と色分けされているか分かる。赤が人の動線(エスカレーター、エレベーター)、青が空調、黄が電気、緑が水道——それぞれのインフラが色によって識別できるようになっている。
この設計の論理は単純で過激だ。インフラをすべて外に出すと、内部のフロアが柱のない自由な空間になる。165メートル×48メートル。7フロアすべてが、壁も柱もない。
ガラスの通路エスカレーターで上った。
外を向いたエスカレーターを上るにつれて、パリが広がっていく。エッフェル塔、サクレ・クール、屋根の海。

このエスカレーターは、美術館に入館せずとも使える。建物に入らなくても「使える」パブリックな場所として設計されている——博物館の外壁が都市のインフラになるとはそういうことだ。

広場に戻った。
ピアッツァと呼ばれる前面広場は、建物に向かって下る傾斜がついている。この傾斜が、街路から建物を見る「シアター」になっている。誰でも座れる場所として機能している。
外に出た人が「また来たくなる」場所が、建物の外側にある。建物の本体はその後ろだ。

南側のストラヴィンスキー広場に出た。
ニキ・ド・サン・ファルとジャン・ティンゲリーによる噴水彫刻。カラフルで奇妙な形の水のオブジェが回転し、水を噴き出している。その奥にポンピドゥーの外壁が続いている。
これが「文化地区」として計画されたこのエリアの全体像だ。美術館、音楽研究所、噴水広場——異なる文化機能が街区として集まっている。
なぜこの建物が、ここに建ったのか。
1960〜70年代のパリは、都市の再開発と文化の民主化が同時に問われていた時代だった。ポンピドゥー大統領は「誰もが文化にアクセスできる場所」を求めた。50カ国以上から680件以上の応募があったコンペで、29歳と33歳の若手二人が選ばれた。
イギリスの建築グループ「アーキグラム」が60年代に描いた「動く都市」の影響が、ここに初めて物質として着地した。
外に出て、広場の傾斜から建物を見上げた。
1977年につくられたこの建物が、まだ新鮮に見える部分と、時間の経過を感じる部分が混在していた。
時間が経っても「挑発的」であり続けるとはどういうことか。ポンピドゥーは今も、その問いに答え続けている気がした。




