シャッター商店街に宿るまちの記憶と再生

シャッター商店街に宿る
まちの記憶と再生

河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

商店街のシャッターが語りかけるもの

休日に地方のまちを歩くと、シャッターが下りたままの商店街に出会うことが増えた。かつて八百屋の威勢のいい声が響き、魚屋の氷が陽光にきらめき、洋品店のショーウインドウに季節の移ろいが映し出されていた通り。そこにはもう人の気配がなく、アーケードの骨格だけが空に向かって佇んでいる。

私はこうした風景を見るたびに、ある種の「建築的な痛み」を感じる。建物はまだ立っている。構造体はまだ生きている。しかし、そこに人の営みがなくなった瞬間、建築は建築でなくなってしまう。箱は箱のままでは空間にならない。人の暮らしが注ぎ込まれて初めて、それは「場所」になるのだ。

商店街の空洞化は、単なる経済問題ではない。それは、まちの記憶が消えていく過程であり、私たち建築家にとっては「継承」という根源的な問いを突きつけてくる現象だと考えている。

商店街とは「時間の地層」である

商店街の建物をよく観察すると、時代の重なりが見えてくる。昭和初期の木造に増築されたモルタルの二階部分、高度経済成長期に貼られたタイル、バブル期のアルミサッシ。ひとつの建物の中に何層もの時間が積み重なっている。

私が建築の仕事を通じて強く感じるのは、こうした「時間の地層」こそが商店街の最大の魅力だということだ。統一感がないと言えばそれまでだが、均質で整然とした再開発ビルには決して生まれない、ある種の有機的な豊かさがそこにはある。

人は無意識のうちに、こうした時間の厚みに安心感を覚える。初めて訪れた商店街なのに、なぜか懐かしいと感じる。それは、建物のスケールや素材、通りの幅、軒先の高さといった身体的な記憶が呼び起こされるからだ。商店街が持つヒューマンスケール——人の身体に寄り添った空間の尺度——は、現代の都市計画では容易に再現できない。車ではなく人の歩幅で計られた距離感、手を伸ばせば届く軒先、隣の店主と会話が成り立つ間口の狭さ。こうした寸法の集積が、無数の暮らしの記憶とともにまちの骨格をかたちづくっている。

「壊して建てる」だけが答えではない

商店街再生の議論になると、しばしば二つの極端な意見が現れる。ひとつは「全部壊して再開発すべきだ」という意見、もうひとつは「昔のまま保存すべきだ」という意見である。私はどちらの立場にも与しない。

全面的な再開発は、たしかに短期的には活気を取り戻すことがある。しかし、均質なテナントビルに置き換えられた空間は、どこのまちでも同じ顔をしてしまう。まちの固有性——その場所でしか体験できない空気感——は、更地にした瞬間に失われてしまうのだ。

一方で、博物館のように「保存」するだけでは、建築は生きられない。人が使い続けることではじめて、建築は呼吸を続ける。漆喰の壁は人の手で塗り直されることで強度を保ち、木の柱は日々の清掃によって艶を増していく。使われない建築は、急速に朽ちていく。

私が関心を持っているのは、その間にある「改変しながら継ぐ」という態度だ。既存の建物の骨格を活かしつつ、現代の暮らしに合わせて内部を再編する。構造や外壁のテクスチャーはできるだけ残し、設備や断熱は現代の基準に引き上げる。古い建物の魅力と現代の快適性を両立させる設計は、新築よりもはるかに手間がかかるが、その手間こそが場所の記憶を未来へつなぐ行為だと私は考えている。

「用途を変える」ことで建物は甦る

商店街の空き店舗に新たな息吹を吹き込む方法として、私が実務のなかで繰り返し向き合ってきたのが「コンバージョン」——用途の転換——という手法である。

かつて金物屋だった間口の狭い空間が、奥行きを活かした小さなギャラリーになる。元々の土間のコンクリートをそのまま残し、天井を剥がして小屋組みを露出させるだけで、まったく異なる空気が立ち上がる。こうした改修では、前の用途の痕跡をあえて消さないことが重要だと感じている。壁に残った棚の跡、柱に刻まれた傷、床のすり減り方。それらはその場所の「履歴書」であり、新しい使い手にとっての物語の起点になる。

住宅への転用もまた可能性を秘めている。商店街の建物は間口が狭く奥行きが深いという特徴を持つことが多いが、この形状は実は中庭や光庭を設けることで、驚くほど快適な住空間に変わりうる。一階を半公共的なスペースとして開放し、二階以上をプライベートな住居とする。こうした「職住一体」の空間は、商店街がかつて当たり前に持っていた暮らしの形でもある。コンバージョンとは、ある意味で原点回帰なのかもしれない。

まちの記憶は「関係性」のなかにある

建築家として忘れてはならないのは、商店街の記憶は建物そのものだけに宿るわけではないということだ。記憶は、人と人のあいだ、建物と通りのあいだ、光と影のあいだ——つまり「関係性」のなかに存在している。

たとえば、向かい合う二軒の店の軒先がつくる「半屋外」の空間。そこに置かれたベンチに座るお年寄り。通りかかる子どもたちに声をかける八百屋の主人。こうした関係性の総体が「商店街」なのであって、建物はその容れ物にすぎない。

だからこそ、建築的な介入だけで商店街を再生することはできない。必要なのは、新しい関係性を育むための「余白」をデザインすることだと私は思っている。完璧に仕上げすぎない空間、用途を限定しない場所、誰のものでもないけれど誰もが使える軒先。こうした余白が、人と人の偶発的な出会いを生み、やがて新しいまちの記憶を紡いでいく。

私が設計において大切にしているのは、この「未完の状態」を意図的に残すことだ。建築家が答えのすべてを用意するのではなく、使い手が自分たちで場所を育てていける余地を残す。完成した瞬間が最も美しい建築ではなく、十年後、二十年後にさらに豊かになっている建築。それは商店街というまちの形が、長い時間をかけて自然に培ってきた知恵そのものでもある。

あなたの暮らしの隣にある「まちの記憶」

もしあなたが今、住まいを建てようとしているなら、一度、最寄りの商店街を歩いてみてほしい。軒先の高さ、通りの幅、建物と建物のすき間から差し込む光。そこにある寸法や距離感のなかに、あなた自身の暮らしの記憶がきっと潜んでいる。

住まいとは、まちと切り離された孤立した箱ではない。窓を開ければ隣家の気配が感じられ、玄関を出れば通りの音が聞こえる。そうした連続性のなかに暮らしはある。商店街が長い時間をかけて育んできた「人と場所の距離感」は、これからの住宅設計にとっても大きな示唆を与えてくれるはずだ。

まちの記憶を継ぐとは、過去をそのまま凍結することではない。記憶を身体に引き受けながら、自分たちの暮らしのなかで新たに編み直していくことだ。あなたがこれからつくろうとしている住まいは、この先何十年ものあいだ、まちの風景の一部になっていく。その一軒が、まちにどんな記憶を重ねていくのか。そのことに思いを馳せるところから、本当の家づくりは始まるのではないだろうか。

河添 甚
河添 甚 代表建築家 / KAWAZOE-ARCHITECTS主宰

1977年、香川県生まれ。大阪工業大学建築学科卒業後、組織設計事務所で複合施設・商業施設の設計に携わる。2010年、河添建築事務所を設立。東京テクニカルカレッジ非常勤講師も務める。香川・東京を拠点に、「なぜその形か」を問い続ける設計を行う。

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