複合施設の設計——用途を混在させることの豊かさ
単一機能の建築が失ってきたもの
私が建築を学び始めた頃、ゾーニングという言葉に強い憧れを抱いていた。住む場所、働く場所、買い物をする場所、遊ぶ場所。それぞれを明確に分け、最適化することが近代都市計画の理想とされていた。しかし実務を重ねるにつれ、その「合理性」がいかに人間の暮らしを貧しくしてきたかを痛感するようになった。
郊外のショッピングモールを思い浮かべてほしい。広大な駐車場に囲まれ、買い物という単一の目的のために設計された空間。確かに効率的ではある。しかしそこには、思いがけない出会いも、時間の流れ方の変化も、世代を超えた交わりもない。用事が済めば人々は車に乗り込み、また別の単一機能の場所へと移動していく。
私は最近手がけたプロジェクトで、クライアントから「カフェと保育園とシェアオフィスを一つの建物に」という依頼を受けた。一見すると無理のある組み合わせだ。しかし設計を進めるうちに、この「無理」こそが建築に命を吹き込む源泉なのだと確信した。
用途の衝突が生む創造的緊張
複合施設の設計で最も難しいのは、異なる用途間の「距離感」をどう調整するかという点だ。近すぎれば互いに干渉し合い、遠すぎれば複合である意味が失われる。私はこれを「創造的緊張」と呼んでいる。
先述のプロジェクトでは、保育園の園庭をガラス越しにカフェから見えるように配置した。子どもたちの姿を眺めながらコーヒーを飲む時間は、驚くほど豊かなものになった。シェアオフィスで働く若い起業家たちは、昼休みにその光景を眺めることで、自分たちが何のために働いているのかを思い出すと言う。保育園に子どもを預ける親たちは、送り迎えの際にカフェに立ち寄り、同じく子育て中のフリーランサーと自然に言葉を交わすようになった。
こうした関係性は、設計段階で完全に予測できたものではない。むしろ、異なる用途を意図的に近接させることで生まれる「予測不可能性」こそが、複合施設の醍醐味なのだ。単一機能の建築では決して生まれない化学反応が、日々この場所で起きている。
動線という「出会いの装置」を設計する
複合施設において、私が最も時間をかけて検討するのは動線計画だ。ただし、従来の意味での効率的な動線ではない。むしろ「いかに自然な出会いを生み出すか」という観点から動線を設計する。
あるプロジェクトでは、住居、クリニック、コミュニティスペース、小さな商店街を一つの建物に収めた。通常であれば、住民のプライバシーを守るために住居部分への動線を完全に分離するところだ。しかし私は、あえて一階部分に共有の中庭を設け、すべての用途がその中庭に面するように配置した。
朝、住民がゴミを出しに中庭を通ると、早起きのパン屋の店主と目が合う。クリニックの待合室からは、中庭で遊ぶ子どもたちの声が聞こえる。夕方には、仕事帰りの住民とコミュニティスペースでイベントを終えた人々が自然にすれ違う。
この動線設計には批判もあった。「効率が悪い」「プライバシーが守れない」という声だ。しかし竣工から三年が経った今、この建物のコミュニティは驚くほど有機的に機能している。孤独死の心配をしなくていい高齢者の住まい、子どもを見守る大人の目がたくさんある環境、商店主と住民の顔の見える関係。効率では測れない価値が、確かにそこにある。
スケールの混在が街を豊かにする
複合施設を設計する際、私がもう一つ大切にしているのは「スケールの混在」だ。大きな商業施設と小さな個人商店、広いオフィスフロアと小さなアトリエ、大人数が集まれるホールと二人で語らえる隅っこの場所。これらを意識的に共存させることで、様々な人が居場所を見つけられる空間が生まれる。
均質な大空間は、一見すると自由度が高いように思える。しかし実際には、そうした空間に居心地よく収まれる人は限られている。人間には、自分の身体スケールに合った場所を見つけたいという本能がある。複合施設では、この本能を満たす多様なスケールの空間を用意することができる。
私が関わったある地方都市の複合施設では、メインの商業スペースの裏側に、畳三枚ほどの極小区画を十数個設けた。家賃を抑えたこれらの区画には、若い作家やクラフト職人、小さな古本屋などが入居した。彼らの存在が、大型店舗だけでは出せない「この街らしさ」を建物全体に与えている。訪れる人々は、効率的に買い物を済ませることもできるし、小さな区画を巡りながら思いがけない発見を楽しむこともできる。
時間軸で考える複合性
建築家として経験を重ねるうちに、複合施設には空間的な複合性だけでなく「時間的な複合性」も重要だと考えるようになった。朝と昼と夜で、同じ空間が異なる使われ方をする。平日と週末で、建物の表情が変わる。そうした時間軸での変化を設計に織り込むことで、建物はより豊かな生命を持つ。
住宅地に建てた小さな複合施設では、平日昼間はコワーキングスペースとして機能する空間が、夕方以降は子ども向けの学習塾になり、週末には地域のワークショップスペースとして開放される。同じ什器を時間帯によって配置換えできるよう、家具はすべてキャスター付きにした。照明計画も時間帯ごとに最適化できるよう設計した。
この発想は、日本の伝統的な空間の使い方に通じるものがある。襖を開け閉めすることで部屋の大きさや用途を変えていた日本家屋の知恵を、現代の複合施設に応用したとも言える。限られた床面積を時間軸で共有することは、資源の有効活用という観点からも理にかなっている。
住宅にも宿る複合性の思想
ここまで商業建築としての複合施設について語ってきたが、実はこの思想は住宅設計にも深く関わっている。現代の住宅もまた、単一機能の集合体ではなく、複合施設として捉え直すことができるからだ。
リモートワークが一般化した今、住宅には「住む」だけでなく「働く」機能が求められている。子どもの学習空間、趣味のアトリエ、時には来客をもてなすカフェのような場所。一つの住宅の中に、これほど多様な用途が混在する時代は、かつてなかっただろう。
私は住宅の設計においても、それぞれの機能を完全に分離するのではなく、適度な「にじみ」を持たせることを心がけている。書斎とリビングの間に半透明の仕切りを設け、家族の気配を感じながら仕事ができるようにする。キッチンを家の中心に据え、料理をしながら子どもの勉強を見守れるようにする。こうした設計は、複合施設での学びが住宅にも応用できることを示している。
あなたが今住んでいる場所、あるいはこれから住まいを検討する際、その空間にどんな用途の混在を許容するかを考えてみてほしい。完璧に整理された機能分離が、本当に豊かな暮らしをもたらすのだろうか。少しの「混沌」を受け入れることで、暮らしに思いがけない彩りが生まれるかもしれない。建築とは結局のところ、人と人、活動と活動が出会う場所をつくる営みなのだから。