機能を持たないフレキシブルな建築——用途未定の空間が持つ可能性
「この部屋は何に使うんですか?」という問いへの違和感
住宅の設計を進めていると、クライアントとの対話のなかで必ずと言っていいほど出てくるのが、「この部屋は何に使う部屋ですか?」という問いです。もちろん、それは当然の質問です。予算をかけて家をつくるのだから、すべての空間に明確な役割を求めたくなる気持ちはよく分かります。
しかし、私はこの問いに対して、少しだけ立ち止まることにしています。
なぜなら、すべての空間に最初から機能を割り当ててしまうことは、その家の未来を狭めてしまう危険があるからです。寝室、子ども部屋、書斎、リビング——名前をつけた瞬間、その空間の使い方はひとつに固定されます。そして、暮らしが変化したとき、名前だけが残り、空間が息苦しくなる。私はそういう現象を数多く見てきました。
住宅とは、完成した瞬間に終わるものではありません。住み手とともに変化し続ける生き物のようなものです。だからこそ、あえて「用途を決めない空間」を設計の中に組み込む意味があると考えています。
名前のない空間がつくる暮らしの余白
私が設計した住宅のいくつかには、意図的に「名前のない部屋」をつくったものがあります。たとえば、リビングと寝室のあいだに設けた4畳ほどのスペース。引き戸で仕切ることもできるし、開け放つこともできる。床の素材はリビングとも寝室とも異なる、少しだけ特別な質感を持たせています。
このスペースを設計した時点では、具体的な用途は定めていませんでした。クライアントにもそう伝えました。「ここは何にでもなれる場所です」と。
引き渡しから数年後にお邪魔すると、そこは時期によって読書の場になり、子どもの遊び場になり、在宅ワークのデスクが置かれ、ある時期にはヨガマットが敷かれていました。住み手自身がその空間の使い方を発見し、更新し続けている。これは、最初から「書斎」と名づけていたら起こり得なかった変化です。
暮らしには余白が必要です。スケジュール帳にびっしり予定を詰め込むと息が詰まるように、住空間にも「何でもない時間」を受け入れる器が求められます。名前のない空間とは、まさにその器なのです。
日本建築が本来持っていた「曖昧さ」の知恵
こうした考え方は、実は日本の伝統的な建築に深く根ざしています。
かつての日本家屋には、襖や障子で仕切られた座敷がありました。ひとつの部屋が客間にもなり、食事の場にもなり、寝室にもなる。家具を入れ替え、建具を動かすだけで空間の性格が一変する。西洋建築が「壁」で部屋を固定的に分けてきたのに対し、日本建築は「仕切り」によって空間を流動的に扱ってきました。
縁側という存在も象徴的です。内でもなく外でもない、あの中間領域は、まさに機能を限定しない空間の典型です。そこで茶を飲む人もいれば、昼寝をする人もいる。子どもが走り回ることもあれば、雨の日にはただ庭を眺める場所にもなる。
私は現代の住宅設計において、この「曖昧さの知恵」を再解釈することが重要だと考えています。もちろん、現代の暮らしには断熱性能やプライバシーの確保など、伝統建築にはなかった要件があります。そのまま復元することはできません。しかし、空間に対する態度——「決めすぎない」という姿勢——は、現代にこそ必要なものだと感じています。
変化を前提とした設計という実践
具体的に設計の手法として、私がよく取り入れるのは以下のようなアプローチです。
ひとつは、構造とインフィル(内装・間仕切り)を明確に分離すること。構造体をしっかりと計画した上で、内部の間仕切りは後から変更可能な軽量の壁や建具で構成する。こうすることで、10年後、20年後に家族構成や生活スタイルが変わっても、大きな工事なしに空間を再編できます。
もうひとつは、「大きなワンルーム」を基本とし、そこに家具や段差、素材の切り替えで緩やかな領域をつくる方法です。壁で区切るのではなく、床の高さを15センチほど変えるだけで、人は自然と「ここは少し違う場所だ」と感じます。天井高を変えることでも同じ効果が得られます。こうした空間の濃淡は、壁のように使い方を強制しません。住み手がその濃淡を手がかりに、自分なりの使い方を発見していく。そこに設計者としての喜びがあります。
さらに言えば、設備の配置にも配慮が必要です。コンセントの位置、照明の系統、給排水の取り回し——これらは後から変更しにくい要素であるがゆえに、将来の用途変更を想定して多めに、あるいは柔軟に計画しておく必要があります。空間のフレキシビリティとは、目に見える間取りの話だけではなく、目に見えないインフラの設計にまで及ぶものなのです。
「決めない」ことには勇気がいる
ここまで書いてきて、ひとつ正直に申し上げたいことがあります。用途を決めない空間を設計に取り入れることは、実はクライアントにとっても、設計者にとっても、ある種の勇気を必要とします。
限られた面積と予算のなかで、「何に使うか分からない部屋」に数畳を割くことに不安を感じるのは当然です。「そのスペースを収納にした方が合理的では?」「もう少しリビングを広げた方がいいのでは?」——そうした声は、設計の現場で常にせめぎ合っています。
しかし私は、住宅の価値は「効率」だけでは測れないと考えています。効率を突き詰めた空間は、確かに無駄がありません。しかし無駄がないということは、余白がないということでもある。余白のない暮らしは、変化に対して脆い。
家族が増える、子どもが巣立つ、働き方が変わる、趣味が変わる、年齢を重ねて体の動き方が変わる。人生には予測できない変化が必ず訪れます。その変化に対して、住まいが柔らかく応答できるかどうか。それは、設計段階で「決めすぎなかった」ことの恩恵として、何年も経ってから初めて実感されるものです。
住まいは「完成品」ではなく「始まり」である
私が住宅を設計するとき、常に意識しているのは、引き渡しの日が「完成」ではなく「始まり」であるということです。図面上で完璧に見える住宅が、実際の暮らしのなかでも完璧であり続けることはありません。住み手が空間と対話しながら、少しずつ自分たちの暮らしをつくっていく。その対話を許容する空間こそが、本当の意味で「よい住宅」なのだと思います。
用途を限定しないフレキシブルな空間は、一見すると贅沢に映るかもしれません。しかし長い目で見れば、それは最も経済的で、最も豊かな選択になり得ます。リフォーム費用を抑え、暮らしの満足度を高め、住み手の創造性を引き出す。そんな空間が、たった数畳の「名前のない場所」から生まれることがあるのです。
これから家を建てること、あるいはリノベーションを検討されている方に、ひとつだけ問いかけたいことがあります。あなたの住まいに、「何にでもなれる場所」はありますか? もしすべての部屋に名前がついているなら、ひとつだけ名前を外してみてください。その空間が、あなたの暮らしにどんな可能性を開くのか——それを発見する楽しみは、住み手だけに与えられた特権です。