パリ郊外の路地を歩いていた。
普通の住宅街だった。角を曲がると、突然、薄いコンクリートの塔が現れた。高さに対してあまりにも細く、石の塔とは別の構造論理で立っている。
近づくと、外壁が「壁」ではないと気づいた。
コンクリートの格子が組まれ、その間にガラスブロックが嵌め込まれている。外から見ると、建物全体が細かいピクセルで覆われているようにも見えた。
オーギュスト・ペレ、1923年。

中に入った。
内部は、「壁がない」教会だった。コンクリートの格子が構造を担い、その間をガラスブロックが埋めている。内陣の奥まで見通せる。正面の扉の向こうに街が透けて見える。石造の大聖堂が「壁と窓」でできているとすれば、ここは「格子とガラス」でできている。

格子に近づいた。
赤、紫、橙。ガラスブロックが色をまとって光を通している。強いステンドグラスではない。拡散した、じわっと滲む明るさだ。ゴシックの大聖堂のステンドグラスが「光の物語」を語るとすれば、ここでは光は均等に、全面から静かに降りてくる。
「コンクリートの詩人」と後に呼ばれた人物が、この格子に込めたのは構造合理主義だけではなかったと思う。光の質も、設計された。

天井を見上げた。
薄いシェルがかすかに持ち上がっている。コンクリートの柱は直径28センチ。これほど細い柱が、これほど開放的な空間を支えている。音が過度に響かない。光の粒と静けさが、溜まっているような場所だった。
設計者として見ると、ここは「構造の最小化」の実験でもある。柱を限界まで細くし、壁を格子に置き換えた。その結果生まれた軽さは、制約から来たものだ。
なぜ、この郊外の住宅街にこの教会が建ったのか。
第一次世界大戦後のフランス。資材が不足し、工期も予算も限られていた。58万フランという極めて緊縮した予算で、石造の大聖堂を建てる余力はなかった。だからペレは、新しい素材——コンクリート——を使った。格子を構造と開口として同時に機能させ、ガラスブロックで光を通した。
制約から、新しい形式が生まれた。これはフランス初の鉄筋コンクリート教会だ。
「コンクリートの詩人」と後に呼ばれた人物が設計した教会。そして、若き日のル・コルビュジエが1908年から1909年にかけてペレの事務所で働いていたことは、建築史の文脈として重要だ。ピロティも、フリーファサードも、その源流はペレの構造合理主義にある。
外に出た。
住宅街の空気が戻ってくる。振り返ると、格子の外壁がまた普通の建物に見えた。
ゴシックの大聖堂が石という素材の極限を追い求めたように、ランシー教会はコンクリートという素材の可能性を初めて示した場所だ。貧しい教区のための建物が、近代建築の出発点のひとつになった。




